
■ 第83回 哲学カフェ
日 時: 2026年1月10日(土) 13:00~15:00
場 所: カフェ・サンラファエル
(名古屋市西区名駅2-11-8 ファーストビル大樹1階)
地下鉄「名古屋駅」1番出口より北へ徒歩5分
テーマ: 因果関係
正月はめでたいことなのだろうか?
この時期になるとなんとなく考えます
クリスマスは目と耳と財布を閉じれば過ぎていくが
正月は継続されてきた過去からの踏襲が
日常生活を周辺環境ごと変えてしまう
これも因果関係といえるのだろうか?
今回は「因果関係」について考えてみたいと思います。
初めての方も歓迎です。
どうぞお気軽にご参加ください
進 行: 高橋 秀和
参加費: 飲食代実費(550円~)
定 員: 15名
申 込: 受付前
主 催: なごテツ(https://nagotetsu.jimdo.com/)
共 催: カフェフィロ(http://cafephilo.jp/)
2026年1月 哲学カフェ開催レポート
新しい年になって、なごテツ最初の対話のテーマは「因果関係」です。
あまり日常会話では出てこない単語のような気がしますが、話の中では「〜が原因で〜が起きた」といったようなことはよく出てきそうです。
なんとなく日常に溢れているけれどあまり深く考えることは少ないこのテーマ。
はたしてどのような展開となるのやら。
<対話の要約>
* ****議論の主なポイント**:**
* **因果関係の定義:原因と結果の関係。**
* **正月の因果関係:めでたさの起源、迷信との関係。**
* **因果関係の広がり:科学的因果関係と、より広い意味での因果関係。**
* **ニュートンの運動方程式:因果関係における時間の概念。**
* **現代社会における因果関係:道徳と因果関係、複雑な事象における因果関係の捉え方。**
* **因果応報との関連。**
* **パトカーと信号無視の事例:因果関係の解釈の難しさ。**
* **熊手と因果関係:迷信とビジネス。**
* **東洋的な因果関係:業、カルマ、輪廻転生。**
* **赤いパンツと営業:因果関係の物語性。**
* **コップを落とす実験:因果関係の検証。**
* **偶然と必然:因果関係への不安。**
* **デビッド・ヒュームの因果関係論:習慣と因果関係。**
* **陰謀論:因果関係の単純化。**
* **自転車とパトカー:因果関係の複雑さ。**
* **科学的実験と因果関係:法則の検証。**
* **殺人罪と因果関係:法律における因果関係。**
* **お墓参りと因果関係:相関関係と因果関係。**
* **カントの道徳論:因果関係と目的。**
* **因果関係の物語:物語と因果関係。**
* **初詣と因果関係:行動と結果の関係。**
* **お正月と因果関係:不安と行動。**
* **呪いと因果関係:因果関係の限界。**
* **ジャンケンと因果関係:確率と必然。**
* **霊的証拠と因果関係:科学的検証の必要性。**
* **時間と空間:因果関係における時間の概念。**
* **偶然と必然:因果関係への人間の欲求。**
* **運命と因果関係:因果関係の放棄。**
* **認識主体と因果関係:自己認識と因果関係。**
<対話の一部紹介>
**・因果関係と言うと、僕のイメージだと、例えば気温が高いとアイスクリームが売れるというのが、原因と結果の関係。正月はめでたいのは原因と結果の関係じゃない。**
・**原因と結果の関係っていうのが因果関係じゃなくてもっと広い意味で、因果関係の意味合いがあるんじゃないか**
**・ニュートンの運動方程式は**F=MA**ですよね。
因果関係は時差がないとなりたたないが、この式には時差がないのが不思議。時間的な前後関係がなければ、因果関係は生まれないという方が、より正確かなと思います。**
**必ず原因にあたる事象は、時間的には前のほうにあって、結果にあたる事象は時間的には後になるが、ほとんど見分けがつかないくらい、ほとんど同時期にあるということなのかなと思う。**
**原因は必ず時間的に先行しなければならないというのは、ちょっと不思議というか、興味深い考察に値する点かなと個人的には思います。**
・**因果関係は自然法則で必然なんで、必ず結果があれば原因があるというような感じで、全てを捉えようとする。 ちょっと前に話題になった内容に、なぜ人を殺してはいけないのか、とかいうのがあったが物事には必ず原因があるとか、理由があるとかいう風に、現代人は考えやすいんだけれども、道徳は原因と結果の関係じゃない、因果関係じゃないと思う。**
**当然そうすべきだからすべきだ、そういう考え方。それを現代人は忘れてきて、全部因果関係で説明できると思い込んでるんじゃないかなという気がしてきます。**
**・例えばコーヒーを頼んだらコーヒーが出てくるっていうのは、因果関係だと思うんですけれども、じゃあなんで僕がここに来てコーヒーを頼んだのか。**
**それってすごい複雑な事情が、集まって今の僕があって、コーヒー頼んでるってこと言ってるんですけど、単純にコーヒー頼んだからコーヒーが出てきたって言う、まあそれは切り取れば因果関係になるんですけど、そんな単純なもので説明できるのだろうかと思う。**
**・例えばチラシを見たから、その店に行きましたとすると、原因はそのチラシを見たからで、結果としてはそこに行ったっていうのが、結果になるんですけど、でも何故ここで心が動いたかといえば、その前段階として、たまたま誰かに、色んな話を聞いたことがきっかけとなってこの結果になったという場合に因果関係で見た時にはどこが原因なのだろう。**
**・例えばなんかミスをした時とか、車運転して事故をした時とか、あの時のあれがいかんかったかなとか、人の悪口言ったから今日足がぶつけたのかなとか、何か自分の身を振り返ると、この因果関係っていうのをよく考えがちかなっと思います。**
**・因果関係と因果応報と言いますね。あの言葉がちょっと影響しているのかなという気がします。因果関係と因果応報で、あの人はいつもあんなことばっかりやってるからそんな目にあったんだとかですね。どちらかというと悪いことが起きた時に使われます。**
**・明らかには説明できることは全員がこれは因果関係があるって言えるけど、そうじゃないこともやっぱり世の中にはたくさんあって、結びつかない、結びつくっていう、じゃあ、それを結びつけてるのは何なのっていうところが多分人によって違うのかなってちょっと思いました。**
・**例えば病気で不安な時にも、これをすればいいんだと、原因と結果がわかるようになると、全体が見えるようになると、すごい自分を安心させてくれるな、っていうのがある。**
**・原因と結果がわかると安心するけれぼ、いっぽう単純化していることの危うさもすごくあるなと。例えば病気になった時に、これをすれば治るみたいなことなんですけど、飛びついちゃったりすることもある。**
**・原因結果っていうのが必然であれば当然、因果関係はっきり理解できるけど、それを偶然と思った瞬間に不安が襲ってくるので、何とかそこに理屈をつけたくなる。**
・**きっと1週間前にあれをやったから今この状態できてるんじゃないかとし、必然ぽいものにすると、なんとなく安心する。**
**・原因と結果が直線的に繋がってない場合があったりします。例えば何かに気付いくということが てもらうことが大事だって、その場で分かることよりも1年後に、あ、そういうことかっていう風に腑に落ちる方が良い場合もあったりとか、その辺の、原因と結果の関係をあまりにもこう直線的に結びつけることによって、その辺のニュアンスがこぼれ落ちるのでは。
・因果関係って思い込みではないか。**
**原因と結果を結びつけたいという要求に基づくん思い込み。しかしそれは大体習慣、前にこうだったからとか、大体こうなってるからとか言うことで納得するっていうのは個人的にはよく分かります。
・東洋の場合だったらどうかなって言うのを考えてみると、大乗仏教の広がりによっていろんな考え方生まれてくるけれども、経験と理性を超えたところに、そういったものがあるというのが東洋的なのかと思う。**
・**因果関係っていうのはその、自分が感じた世界の中で落ちてくるものなのかなって言う気がします。
・因果関係を考えるときに、論理的に説明がつく場合と、自分のなかで納得して、物語的に落とし込みができている場合がある。 後者のほうで思い出したのが、赤いパンツのことなんです。**
**営業マンをやっていた時に赤いパンツを履くとよく売れた。何の因果関係かなあと思いながらも、大事な商談がある日と言うのは、必ず前日の夜からちゃんと赤いパンツを履くようにしていました。**
**・もしかしたら無意識に赤いパンツを履く日は頑張ってるから結果的に良い結果になっているという可能性もあるのでは。
・因果関係は人が作っているのではないか。 ある出来事があったときに、あの出来事のせいで、こうなったという捉え方をしてしまう。因果関係は所詮思い込みなのではないか。**
**・因果関係っていうのは、提供される情報量によって変わってくるのではないか。** ・因果関係は**傾向の話ではないか。**
・**人間は因果関係を求めずにいられない存在ではないの。人間のは社会は因果関係に基づいていることで安心にも繋がっている。 その中にずっと生きていると、自分が因果関係そのものになってしまって、本来は我々はもっと複雑な生き物なのに、因果関係にハマっているのではないでしょうか。**
・**この世の中は、より複雑になってきてその、相関関係なのか因果関係なのかを解ききれない状態にあるのかもしれないと思っています。こういった中でそれが不安だと拡散されていることが多いのでは。 だから大体こんなもんだろうって言う当たりをつけいくように、現代人は、発想を変えた方がいいんじゃないかと思う。
・因果関係は、その原因があって結果が出る。その結果がまた原因になってまた出て結果に繋がる。永遠に続く玉突きみたいなもの、その魂付きもとてつもなく複雑。**
**・所詮もう因果関係と言いながらも全ては偶然の連続じゃないか。それをただ人間が理屈をつけて因果関係と言っているだけなのではないか。**
**・科学の実験で、実際に法則を検証する時は関係ないものは全部、影響を受けないように排除する。 全部排除した中で、こういう結果が出たからこれが原因でこの結果が出るのは法則ですよね、という風に持っていくんです。ただ、実際の私たちにおいては、それは無理なので、本当にそれが因果関係なのかどうかというのは、確かに決定づけるのは難しくなってしまうんだろうなと思います。**
**だから、本当に特殊な環境においては、因果関係はある意味成立させることはできるのかもしれないんだけど、一般的な環境の中で、本当にそれが因果関係かどうかというのを明確に定義するっていうのは、かなり難しいことだと思う。
・やはり因果関係って求めずにいられないんだろう。人が苦しいのは自分の存在を因果関係で説明できないことがやっぱりそれがすごく苦しいことだと思う。 昔は神話とか宗教でその説明をしてきたものなんですけど、現代に生きてる我々はそこまで行けない。だから、なんとなく、因果関係の物語を作っていかなくちゃいけないところが、自分にもあるのかなって感じてます。**
**・たまたまあなたが今日ここに来たのも偶然ですよ。でも全てが偶然になってしまうとですね、すごく不安定になってしまうっていうことで、何とか必然に持って行こうと思うとどうしても因果関係という形で持ってこざるを得ない。**
**だからやっぱりね、必然で持って行こうとすると結構大変なんですよね。どちらかというと全部が偶然ですという方が説明がしやすい。だけど世の中が、いろんなものを構成しているっていうものがちゃんと形をなすためにはどうしてもね、必然的なものがないと、それを形作ってることはできない。どうしてもそこに因果関係求めてしまうのがこの世界っていうもの。**
**・私はちょっと違って、偶然が面白い。明日何が起こるかわからない、明日何があるか分からなすぎて面白くてね。私はそんな生き方をしてきてるっていうか、明日何があるか分かったら面白くもなんともない。
**10年以上前ぐらいにある人が亡くなって、その亡くなり方に周りは納得ができないので、とにかく一生懸命いろんな原因を考えて、あーでもない、こーでもないってみんな言って、残された方はそれを一生懸命その因果関係を探してたけど、どうしても見つからないんで、本当に見つからなくて、ある時、本当は運命だったよっていう人がいたんです。
** だからもう無理に因果関係を追求するのが辛すぎるから、逆に考えないために運命だって思えば楽になれるから。 などなどと対話は続きました。普通の環境で因果関係を証明するのは結構大変そうです。**
**ただ、相関関係はものによっては確認が可能なものがあり、結局はどの話で納得するか。それで話が落ち着くことが大事ということでしょうか。
(作成: なごテツ世話人 荒井 豊)