NEW ■ 第29回 哲学カフェ←Googleカレンダーに追加
日 時: 2018年6月9日(土) 13:00~15:00
場 所: カフェ・サンラファエル
(名古屋市西区名駅2-11-8 ファーストビル大樹1階)
テーマ: 目に見えないものとは?
進 行: 高橋秀和
参加費: 飲食代実費(440円~)
定 員: 13名
申 込: 事前申し込み終了、キャンセル待ちは若干名受付中です。
staff☆nagotetsu.sakura.ne.jp(☆を@に変換してください。)
(定員に達しましたら締め切りますので、なるべく事前にお申し込みください。
お申込みがない方も席に余裕がある範囲で先着順でお受けします。お早めにいらしてください。)
《ご案内》
目に見えないものとは?
音が聞こえればどこから聞こえるのか目で追い
香りがすればどこから香るのかきょろきょろと探す。
私たちの多くは視覚を元にして世界を感じています。
しかし見えないけれど豊かなものにも囲まれてもいます。
今回は目に見えないものについて考えてみたいと思います。
初めての方も歓迎です、どうぞお気軽にご参加ください。
―開催報告―
なごテツ 第29回 哲学カフェ
《目にみえないものとは?》
日時: 2018年6月9日(土) 13:00~15:00
会場: カフェ・サンラファエル(名古屋駅東口)
進行役: 高橋秀和
以下に発言内容の一部を紹介します。
・本当はないものなのに「ある」と考えられている、「裸の王様」の服のような。
・後ろからの視線。「見られている」と感じる。
・キャッチボールで、落ちてくる所はわからないのに捕れる。見えていないのにわかる事がある。
・全盲の人、歩く時に椅子など障害物がある場所がわかる。
覚えているわけではなく、いつもと違う場所にあってもわかる。
ただ、気が動転している時にはわからなくなる。
・「感覚」は見えない
・縦縞の壁に囲まれて育った子猫は、ある日、横縞の壁に囲まれた部屋に連れていかれると見えなくなる
(認識できない) 脳の中で「横縞」を受容する部分が発達していない。
・ヌードがまとっているものは?M・モンローはシャネルNo5。感受性によって変化する?
・人の心
・サッカーの試合で、選手が日焼けしているのを見て「すごく練習したんだ」と想像する。
A→Bへと変化している時、AとBの間は見えないが、想像して見ている。
・「目に見えないもの」というテーマは広くて大きい。
ググってみると「星の王子さま」の一説「一番大切なものは目に見えない」が出てくる。
心が一番広くて見えない?
・人の話を聴く時、語られている内容より、そこに含まれている「なにか」を見ている。
「行間を読む」も同じ。
・見ているものが全てか?関心があるものしか見ていない。見ていないものはけっこうたくさんある。
・本当に「ない」ものは、本当のこと? 目に見えない=「ない」?
・「星の王子さま」は説明が多い。「ムーミン」は説明が少ない。
・「大切なものは目に見えない」と言いながら、「星の王子さま」がバラを好きなのは、バラがきれいだったからでは?
・王子さまが地球に来て、たくさんのきれいなバラを見た時は心が動かされなかったから、
やはり「見えていないところ」も大事なのでは?
・「星の王子さま」の中の、世話をした人には責任がある、という一節があるが、
見返りを求めてはいけない、ということか。
・「大切なものは目に見えない」を言い換えると「あたりまえの中に大切なものがある」?
「意識していないものの中に」。。。
・よく知れば知るほど、わからない。
・自分の中に溜まっている「知識や性質、文化」等々が影響した色眼鏡で見るしか見えない。
・「赤」を見ても、感じるものは人それぞれ。受け取り方は人によって合ったり、合わなかったり。
・観念を思い浮かべるかどうか。例えば国会議事堂を「建物」と見るか、「立法府」と見るか。
その人のもつ知識体系で見えるものは変わる。
・専門家にしか見えないものがある。(建物を見て構造計算とか)
・ある「作品」は、その人が心に思い描く世界が現れたもの。目に見えないものから、見えるものへ。
・関係性を通して、自分が形作られる。活動をもつ時、カタチが現れる。
・「合う、合わない」部分は見えない。ものの見方が違う人との差異を埋めるには?
・違うものの見方をする人は、違う視点で見ている。必ずしも自分の見方が基準ではないと思うことが大事。
・個性があるから、一致しない。
・意見は合わなくても受け入れられることもある。
・見える所と見えない所があるから、わかった上で共存する。
違いを認識した上で対等に認め合うようにしたい。
争いが起こりそうな時、個人が視線を変えることで避けられるかも。
・個人の人生の中で、人との関係があれば年とともに変わっていく。昔の自分、今の自分も違う。
・自分の中でも「差」が生まれる。他人ならなおさら。
・理解しあえないのが前提。重なり合うところにストーリーがある。それがいいな、と思える。
・差異はあっても、誤解したままでもいいのでは?間違っていることにも気づかなくても。
・小説などの「物語」が、漫画化、アニメ化、映画化などされる時、読者のイメージ
(その人には見えている)との差が生まれる。 自分が正しいと思うからぶつかる。
・無意識、市場(マーケット)なども、目には見えない。
・見えないけど、あるんだろうな、とコンセンサスを得ているものはある。
また、絶対にコンセンサスを得られないものもある。
・道端のブロックの塊が柴犬に見えるのは、人は見たいものを見ようとするから。
・アヒルかわいい、と思ったら、アヒルは見え続ける。意識を向ける理由があるから?
・雲の形がうさぎに見えるのは、うさぎが何かを知っているから。知識が増えることで想像力が減ってきた?
・画家が絵を描く時、例えばガラスの中にいろんな色を見るけど、画家でない人には見えない。
・言葉によっても見え方が違う。
英語で「I See」→「わかった!(腑に落ちた、理解した)」
「I hear」→「あなたの意見はわかった」
・「目」→知性の働きに例えられることが多い。「触」→語られる知性はあるか?
・人が「わかる」時、は「分けている」。「分かる」。例えばコップは「ガラス」と「円筒形」。
直観的に「分けずに」わかる言葉(日本語)はない? そもそも、直接見て、「分けずに」「わかる」対象はない?
・認識するには「経験」が必要。初見では認識できない。
・大工は見えないものを形にする。施主のイメージを図面や写真で共有するが難しい。
・「差」を形にした時、相手との違いがわかる。イライラを形にすると「けんか」になる。
目に見えない形で留められる?コントロールできる?
・見えないものは存在の仕方が多様。 目で見えたら、存在の仕方が一つになる。
・確定していない状態で存在していない
・見えていないはずのことが、意外と人にはわかっているらしい、という実験がいくつかある。
後ろから見られること、電話をかけてきた相手、など。
・脳が進化しても、本能的な脳の機能を常に作動しておくようにする原則がある。
五感による認識のため?見えるはずがないものを認識することもある。
人間が人間的な認識だけを備えているわけではない。
・神様は見えないが、存在を「感じる」もの?
・戦場で、撃つ相手を「人だ」と思うと撃てない。だから徹底的に、対象は「モノ」であると訓練する。
訓練されれば撃てるようになる。
・「目に見える」とは習慣の作用が大きい?見えていないけど、ただその習慣に育てられた?
・ひとつのものを突き詰める時、見える人と見えない人がいる。
専門家は見えなくても共有できる、理解できる、信頼できる。本質を知っているから?
・目に見えないものを共有する時、図解や言語化が必要。なのでその手段を豊かにしておくことも大切。。
・みなさん聴き上手で心地よかった ここで時間となりました。
終わってみればあっという間ですが、参加された方々にとって楽しい時間となったようです。
(作成: なごテツ世話人 水野生惠)
Mn3 (金曜日, 29 6月 2018 13:59)
実在はするのだろうけれども、見えないもの
それは「時間」ではないだろうか
こう言っている間にも
時計の秒針は時を刻んでいる
これは時の流れが見えているのではないのか?
いや、ただ時計の針が動いているだけだ
あえて言えば、運動が目に見えているだけに過ぎない
では運動は実在するものなのだろうか?
いま水素原子の電子を考えてみよう
この電子の『動き』はシュレーディンガー方程式で表されるだろう
外部からの作用でこの確率波は一点に収縮するだろう
これは人が『見て』いない時も
電子は運動するものだということを担保すると言えるものなのか?
人が『見ている』時だけ電子は出現すると考えてはいけないのか
であるならば、電子というものが常に運動しているとは言えないのではないか?
逆に電子の確率波の観察から
時間の流れを導き出すことは不可能ではないか
時間が静止した世界を考えてみよう
そのとき電子は姿を現すだろうか?
相変わらず確率波というやつで、観察してくれる人が誰も存在しない世界で
収束波として存在することになるのを夢見ているのだろうか?
時間が逆流している世界でも
水素原子の電子には何の不都合もないだろう
その集合物、マクロな存在には時間の逆流している証拠を
残してしまうのはなぜなのか?
どこで時の流れというものが生じるのだろう
時間が逆流している世界の生き物
まず死んでいて、どんどん若返っていく生物
そんな生き物の体を構成している原子をひとつ抽出して観察しても
時間が過去→現在→未来と普通に流れている世界の原子と比べ
何ら変わる点は発見されないだろう
では時間が静止した世界の原子とは?
運動、法則の破綻した世界
何が目に見えるのか?
光子が動かないから何も見えないだろうけど
するとハイゼンベルグの不等式に反するのではなかろうか?
時間は実在するものなのだろうか?
からす (木曜日, 21 6月 2018 20:15)
目にみえないものとは?
見えないのが光のない闇
光がないので見えないが光自体も見えない
光がなにかに当たって初めて光の存在を認識できる
反射する物質がないと見ることができない
では炎はどうなのだろう
物質ではなさそうですがなにかが燃えているのかな?
色のある火を遮ると煤がつく
よく判らないがなにか燃えている物質があるようです
音や香りが目にみえないのはこのあたりが原因でしょうか
では水は?
綺麗な水はほぼ見えないので光の屈折などがなければ
そこにあることが判らないかもしれません
これを見えるとするかどうかの判断はどうすればよいのか?
主観的に判断するしかないのでしょうか
では幽霊的な存在は?
見えるという人はいるが少数派といえる
綺麗な水と同じ扱いでよいのだろうか?
水は触れることができるし光の当て方によっては認識できる
そこにあることを証明できないものがあるかないか
今回のテーマであれば目にみえないものではあるのでしょう
存在するかどうかはテーマにとって重要ではない
目にみえないものは物質ではないらしい
でも香りは芳香物質があるのでは?
・・・。
この仮説は間違いの可能性が高いようです。
Mn3 (日曜日, 17 6月 2018 13:38)
むかしの人は目に見えないものに恐怖した
遠くの国や、よく知っている場所でも暗い夜に
魑魅魍魎が跋扈していると疑わなかった
誰も目にしたものなどいない筈なのに。
翻って現在
科学のちからで、噂だけで知っていた魑魅魍魎は
文字通り目に見えないもの=存在しないものとなった。
しかし目に見えない怪物は科学の力で復活した
姿を変えて。
エボラウィルス、エイズウィルス、ペスト菌、結核菌etc.
普通の人はそれらを目で見たことがない
しかしその存在は、昔の人が信じていた怪物以上に
確かなものと信じて疑わない。
また都市伝説に類するものなのか
サブリミナルメッセージというものに現代人は慄然とした。
目に見えないものに私たちは動かされると信じ
そのことに私たちは戦慄する。
そして過去、現在、未来にわたり絶対に目にすることの出来ない世界ゆえに
私たちが恐怖感を覚えるものとして
死後の世界というものがある。
(臨死体験をした人の中には死ぬことが怖くなくなった、という人もいるようだけれど)
目に見えなかったものを視覚化することで
脅威を克服してきた人類。
死後の世界にだけは永久に畏縮する運命のようだが。
ヤスミン (金曜日, 15 6月 2018 19:55)
目に見えないもの。。。香り(匂い)は話題にならなかったでしょうか?
香りは本能を司る脳の部位にまっすぐ届くので、「意識」しなくても(理性を通さず)心身に影響を与えてしまいます。
匂いの他にも、体内のホルモンとか、あるいは自然界の微生物など、見えないけれど私たちの心身に大きな影響を与えるものはありますね。
もしかしたら、目に見えないものの方が、より強く深く私たちに影響を及ぼす可能性があるのかも。。。
参加者さんのお話の中に
「脳が進化しても、本能的な脳の機能を常に作動しておくようにする原則がある。」
というのがありましたが、その原則を守るためには、五感の中では原始的な嗅覚とか触覚を鈍らせてはいけないのでは、と思いました。
五感の中では「視覚」重視の現代人ですが、見えないものの方が、より強く深く私たちに影響を及ぼす可能性があるとしたら。。。普段使うことの少ない感覚を磨いておくほどに、心身は健康に保たれるかもしれないし、目に見える世界も見えない世界も、どちらの世界も豊かに楽しめるのかもしれない♪と思いました。