第28回 哲学カフェ

高級とは?

2018年5月12日(土)

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カフェ・サンラファエルさまの入り口
カフェ・サンラファエルさま

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日 時: 2018年5月12日(土) 13:00~15:00

場 所: カフェ・サンラファエル

    (名古屋市西区名駅2-11-8 ファーストビル大樹1階)

     地下鉄「名古屋駅」1番出口より北へ徒歩5分

テーマ: 高級とは?

進 行: 荒井豊

参加費: 飲食代実費(440円~)

定 員: 13名

申 込: 4月27日(金)夜からメールにて受付開始。

     staff☆nagotetsu.sakura.ne.jp(☆を@に変換してください。) 

 (定員に達しましたら締め切りますので、なるべく事前にお申し込みください。

お申込みがない方も席に余裕がある範囲で先着順でお受けします。お早めにいらしてください。

 

《ご案内》

 「高級」ってなに?

高級という響きはちょっと魅力的ですね。

その言葉が付いていると、良い気分になったり誇らしくなったりしてしまいます。

それと同時に、高い、なかなか手に入らないといったイメージも

あるのではないでしょうか?

なんとなく実体がありそうでなさそうな「高級」という言葉ですが

さて、私達は何を「高級」と感じているのでしょうか。

今回は高級について考えてみたいと思います。

初めての方も歓迎です。どうぞお気軽にご参加ください。

 

―開催報告―

なごテツ 第28回 哲学カフェ

《高級とは?》

日時: 2018年5月12日(土) 13:0015:00

会場: カフェ・サンラファエル(名古屋駅東口)

進行役: 荒井豊      

 

第28回哲学カフェレポート 前回の「比べる」に続き、今回のテーマの「高級とは?」は、

比べた結果についてのことですので、ちょっと似ていますね。

そんなこともあってか今回は参加された方の人数は最近の傾向からは若干少なめ。

それにもかかわらず、始まってみるとかなりの盛り上がり。

参加者の活発な発言と思わぬ展開で楽しい時間となりました。

以下に発言内容の一部を紹介します。

 

・以前、芸能人を一流かどうか格付けするために、品物を見せてを判定させる TV番組があったが、高級品を見抜け ず間違えることがあった。

・そもそも「高級」は感覚でわかるものなのか?

・高品質と高級は違うのでは。 高品質・高性能・高価格は、他者に見せて自慢するもの。

・私にとっての「高級」(自分基準)は、少しがんばれば手に入り、その後は「あたりまえ(普通)」になる。

・優雅とか高級は、自分から離れたもの

・高価なものに浸っている自分はなんて優雅なんだろう、と外の目を気にしている自分がいる。

・オーガニックは高品質・高価格だけど「高級」か? (という参加者の問いかけに対して以下)

・お金の価値だけではなく、基準が違うところに面白みがあるのでは?

・オーガニックは「高級」の上をいくもの ・人に自慢したい人は、オーガニックにいく

・「オーガニック」は高級であってはならない。(「高級」というイヤらしさはない) そんな評価とは関係ない、素朴な良さが売りではないか

・高級とはランク付けの中で高い所にあるもので、自分の価値を高めたい欲求があるから、オーガニックはそこに位置付けない (オーガニック、ここまで)

・贅沢と高級と、2つ切り口がある

・贅沢と高級は似ているようで違う。貧乏人が高いものを身に着けると贅沢。お金持ちがロレックスでも贅沢じゃない

・吉野家の牛丼の特上は高級か? 器が違う。

・なにかと比較して「高級かどうか」ではなく、圧倒的・絶対的な「高級」もあるのでは。(例としてフェラガモ。志と中身のあるブランド)

・絶対的な安心感(お金・歴史)に支えられたもの

・「銀座」という場所では安いセーターは売れなかった。同じセーターに逆に高い価格を付けたら売れた。(「銀座」への安心・信頼から?)

・中古品はふつうは安くなる。でも「骨董品」になれば高級。それは「歴史」がそうさせる。

・「物語」の力がものの価値をつくる?(銀座という物語)

・「高級」という判断を人にゆだねるのか?自分で決めるのか?

・「高級」はモノだけではなく、たとえば「高級官僚」「高級住宅地・リゾート地」などという使い方もある

・ランクを現す意味で使われる言葉か? 歴史がなく、新しいホテルでも「高級ホテル」と言ったりする。

・子どもの頃、鉛筆を買いに行ったら、全部の商品に「高級」と書かれていて不思議だった

・輪ゴムにも「高級」って書いてある。

・「キャッチコピー」として「高級」と使う時もある。

・カラオケBOXの建設で、高価な遮音シートの代わりに安価なブリキ板を使い「高級遮音板」と記載したことがある。 「高性能遮音板」と記載するとそれを立証するデータが必要だから。

・「高級」とは幻想なのか?

・子どもが保育園に通っているときに、「上級保育士」という言葉を聞いて違和感を覚えた。能力によって上級・下級と付けているのか?

・フェルメールの贋作をつかまされていたナチス高官、だまされたと知らなかった時は幸せだったのに、贋作とわかったときに「この世の悪を見た」ような顔をしたというが、だまされてたままならその絵は彼にとって高級だったのか?

・(上記の話から)高級がゴミになる瞬間に失われたものはそれを価値あるものとしている背景となる「歴史」

・高級は有名無実なもの?

・職人のように「自分の中の高みを目指す」ところにも「高級」はあるのでは。

・自分が値付けできるかどうか? 美術はマーケットで評価される。

・ゴッホは生きている間は評価されなかった。その絵の価値は価格が高いか安いかだけでは比べるべきものではない。

・高級があれば低級も?レベルの低い高級官僚、レベルの低い高級料理もある

・人にまかせて自分は判断しないことがある。自分で現実をとらえるのは苦しくて大変な事だから。

・自分が居る場所によっても価値は変わる。都会ではオーガニックは高級、貧しい田舎で農薬が買えずに作られた野菜(結果的にオーガニックなんだけど)は田舎の人には「普通の野菜」

・自分にとってのみ価値のあるもの(遺品とか)は、どう価値付ける? (上記の問いに対して)

・「つながり」ではないか

・「高級」とは社会とのつながりで決まる。遺品は「高級」という言葉では表せない。他人に関係ないから

・自分にとって思い入れのあるものは「高級」とは言えない。社会で共有できる価値観があるから「高級」といえる。

・遺品でも故人が世界的な人なら、自分にとっても世界に対しても大切なものになる。 (ここまで)

・価格が高いことと高級さとは必ずしも一致しないのでは?

・高品質・高性能で、世界の一流ブランドとして流通しているメーカーの作るものは、実体が伴わなくなっても(品質が落ちても)高級品として流通してしまうこともある。

・「高級感」はどこからくるのか? 見た目? 質感? 五感から。 (上記に対して)

・みんながイメージを共有しているものかも。(文化) ・実際は高級でなくても、高級という。

・自分にとっての規格に合ったもの (ここまで)

・ハイレベル、ハイクラスとは?

・「クラス」は集合、上等なもの、高いものの集まりでは?

・「高級」は、教えられて、勉強して知るものでもある。 学んだ価値観で評価している。

・どこかに権威があって、「高級」と決められている?  「違う」とも言いたいけれど、世の中には本当に良いものもあるから、それがわかるのも大事。

・感性では、絶対的な「高級」は分からない? それぞれが見ている世界が違うから。

・自分にわからなくても、その道の専門家には高級だとわかる。

・新鮮な野菜のおいしさは農家ではあたりまえ。それがフレンチの前菜として出されると高級になる。

・自分ではよくわからなくて不安もあるから、「高級」という言葉で安心させる。「高級」という言葉が、「すがるよすが」になっている。私の高級感は間違っていないと思いたい。

・高価格は、理由がわかると納得できる。それが地に足のついた「高級」。

・高級とはロマン。日常が非日常になる

・排他的な要素もある。高級以外は低級。ある程度の階級に属さないと買えないとか。排他性によって高級の保っている。

・言葉のひとつの発明に過ぎない。たまたま「高級」と付けて区別する。モノを選ぶ時、その言葉にすがることもある。 ・職人が丹精したものは高級。そうめんとか、卵とかも。

・千利休と豊臣秀吉。お互いの価値観(真逆)のぶつかりあい。どちらも「高級」?

・金の茶室に究極のわびさびと感じた。高級とは、日本人の感性を代表するものもあるかも

・受け手側にとっての「高級」とは? (上記の問いに対して)

・ブランド品は、他者と価値観を共有している。遠まわしのコミュニケーション?

・高級品を持つことで、その階級の人たちとつながりたい。そのクラスに属したい。

・つながりではなく、高級なものを手に入れる時の個人的な喜びもある (ここまで)

・コンビニおにぎりも、未来にサプリメントで食事終了、なんて時代になったら「高級」になるかもしれない。

・代替可能性のないものは「高級」。例えば100円ショップのものは代替可能だから高級ではない。

・人類が発明したもの。動物には高級なんて感覚はない。

・「高級」は、人を喜ばせようとする度合い(が高い)のでは。 (以下、初参加の方の感想)

・自分では思いつかなくても、人の意見を取っ掛かりにすると、いろいろ考えさせられて楽しい

・自分の価値観から離れたものだと思っていたけど、自分にとっての「高級」もあるかも?と思った

・高級の反対は「低級」じゃなくて「普通」なんだな。「高級」について語れる世の中って平和でいい

・みなさん聴き上手で心地よかった ここで時間となりました。

終わってみればあっという間ですが、参加された方々にとって楽しい時間となったようです。

 

(作成: なごテツ世話人 荒井豊)

[ご説明] 哲学カフェでのやりとりを多くの皆さまと共有する場として開設します。

イベント終了後2週間程度を目安に、参加者の皆さまからのご投稿を募集します。

当日の感想や、後で気づいたことなどを気軽にお寄せください。

参加者同士のさらなる対話の場としてもご活用ください。

[ご注意] 「ホームページ」欄は、ご記入なしで構いません。

「名前」は匿名や変名でも構いません。(後で変更はできませんので、ご注意ください!)

ご投稿はなごテツが発行および許諾した印刷物や電子媒体で複製・転載する場合があります。

あらかじめ、ご了承の上、ご投稿をお願いします。

~参加者からのご投稿~

コメント: 11
  • #11

    Mn3 (木曜日, 24 5月 2018 21:14)

    贅沢な時間の過ごし方
    というのはお金をどれだけ短時間に消費するか
    ということではない
    貧困なる精神
    というのも
    年収が低い人の精神生活ではない
    豊かな読書体験
    というのも
    一冊何百万円の本をコレクトしている人のことを
    いうのではない
    楽しい夏休み
    楽しかった家族旅行
    というのも蕩尽とは無縁

    ある世代までは「お金の話をすることは卑しいこと」
    という観念があったといいます
    お金があることは
    幸福の十分条件でもなければ必要条件でもない

    「たったの62人」大富豪が全世界の半分の富を持つ
    と聞いて
    「さすが一流の人たち!」と感嘆するか
    それとも「そんなのなんかおかしい!」と憤るか

    むかし封建権力は力ずくで人を従わせた
    むかし宗教権力はひとのこころを意のままにした
    そしていま資本権力は人の頬を札束で殴りつける
    高級も一流もラグジュアリーも至上資本主義のエクスキューズ

  • #10

    ヤスミン (木曜日, 24 5月 2018 16:25)

    「高級ラーメン」で検索してみたら、ホントにたくさん出てきてびっくりしました@@
    一杯3000円はないわ~~~
    と思う感覚の中に「ラーメンは数百円のもの」という観念がありました。
    多分、ほとんどの人にある観念。
    だからこそ、「3000円」と聞くと心がザワつく。そこに付け込まれるわけですね・笑
    さらにはお店側は自分からは言わないけど、食べた人が話題にするであろう事は承知済。
    マーケティングの妙技。
    乗せられたくないなーと思う、あまのじゃく・笑

    「一流」はイメージとしては「最高級」に近いものだと感じました。
    「高級」ほどふんわりしていなくて、もう少し実体がありそう。

    Mn3さんのブランド品と英語圏の考察も、興味深く拝見しました。
    「階級」があることのメリット・デメリットなんかも考察してみたくなりました。
    芸術などの文化が豊かに発展していくためには、それを楽しむことのできる裕福な高い階級の人々の存在も必要ではないか。。。と思ったりします。

  • #9

    からす (木曜日, 24 5月 2018 10:26)

    高級と1流の違いはなんだろうか?
    高級レストランの1流シェフが高級食材を1流の腕を振るった高級料理
    高級は物につき、1流は人に属するのかな?
    1流レストランとすると運営スタッフが1流でなければならない?
    高級食材を使ってお金の掛かった場所で高額な料理を出せば高級
    上記の要素を削っても素晴らしいおもてなしであれば1流とはいえるが
    安価であれば高級とは言わないのかな
    (味は面倒なので対価に納得しているものと仮定する)
    高級ラーメン店、1流ラーメン店はラーメン屋の定義に反する?
    レストランが格式やもてなしを評価基準にするのに対して
    ラーメン屋は味が勝負のようで紹介の言葉に高級は少ない
    食材も高級より厳選、量の多さや安さに価値があるらしい
    おいしいラーメン屋の表現には広告の需要があり
    高級ラーメン屋は広告としては需要が少ない?
    しかし検索のネタとしては強力で沢山ヒットはする
    お店の自己アピールよりお客が行ってきたと話題作りに使っているようです。
    お店の紹介サイトには少なく、お客の食べ歩きサイトには多い
    高いお店とは思われたくないのでお店のアピールには使わないが
    食べた人は自分の食べた物の価値を高めたいのでアピールするので
    お店側も食べている人には高級であることをアピールする
    なにやら面白い駆け引きが存在しているようです。

  • #8

    からす (月曜日, 21 5月 2018 20:57)

    高級品とプロ仕様はどちらが高額なのか?
    身近にありそうな物で比べてみる
    例えば包丁
    家庭用の一般価格が1000円~3000円なので2000円と仮定
    5000円程度から材質が変わって切れ味が変わるので
    この辺りを高級品と仮定してみる
    プロ仕様=業務用と考えてみる
    お店で聞いてみるとまともな物は10000円~となりやすいので1万円と仮定
    この3つをどう比べれば良いのだろう?
    1.切れ味
    2.切る際の作業時間
    3.切り終えた量
    家庭では優先順位が1~になるかと思うけれど
    業務用では逆になる
    量が多いので作業時間が重要となり、切れ味を求める
    家庭ではそれほど量が多くないのであまり差が出ない
    そして耐久性という問題が出てくる
    業務用は大量の素材を長時間切り続けるので耐久性が重要になるが
    家庭ではそこまで作業量が多くないので耐久性は重要ではない
    求められる内容に相違がありそうです
    時間と量を測ることは難しそうですが
    4人家族で1日、10食と仮定
    1日300食の店舗で考えたとすると単純計算で30倍
    一般価格2000円なら60000円以上で高額
    高級品なら150000円で高額
    業務用10000円と比較すると業務用は金額は高いのに安価となる
    数字の出し方が乱暴なので正確性が低いのが難点です

    日本料理の高級店では100万円以上の包丁の噂も聞きますが
    それを使うことで利益が出るという要素が追加される
    高級店であれば高額であってもおかしくないと思ってしまう
    この辺りに高級とは?が漂っている気がします
    高級なお店で高級な食事を食べれる人は高級な人?

  • #7

    Mn3 (日曜日, 20 5月 2018 23:39)

    以前から「ヨーロッパでは富裕層でなければ日本のように高級ブランド品を買うことはない」
    と聞いてはいたのですが。
    そこでネットで検索してみると「確かに欧州では富裕層でなければ日本のように高級ブランド品を買うことはない」「米国は日本ほどではないが欧州よりは買っている」
    といったところでした。
    更にその理由はというと大体4~5つが挙げられていました。
    しかし、僕が考えたことではないので割愛します。
    といってもそのうちの一つにだけ言及しようと思います。
    それは「日本ではブランド会社のイメージ戦略が功を奏しているから」
    というものです。
    日本では、明らかに高級品の筈が一般大衆が見聞きする媒体にCMを出しています。
    そして日本は少なくともちょっと前までには『一億総中流』と言われていました。
    だから日本社会においてあまり階級を意識しなくとも生きていける訳です。
    (最近は分断、ワーキングプワー、老後破産、等と、事情が微妙ですが)
    欧州ではブランド品は富裕階級のもの。
    庶民は自分の身の程をわきまえねばなりません。
    高級品は階級を表すコード。
    敏感にならなければならなかった。
    だから日本語の〈高級な〉に相当する英単語は
    〈high-class〉〈high-grade〉〈exclusive〉〈sophisticated〉〈fashionable〉〈quality〉〈rich〉と沢山存在する。
    とまあ最後の、英単語は~と沢山存在する、
    の理由を考えていたわけです。
    ブランド名には日本人ほど詳しくなくとも、
    ブランド品とは何か、どのような社会的意味を有するものなのか、
    ブランド品の本質とは何か、どのようなものがブランドなのか、
    ブランドとはどう距離をとっていかなければならないのか、
    に心を砕いていかなければならなかった、
    のが欧州の人々だった。
    欧州といっても英語圏の考察でしたが。
    ちょっと不思議に思いましたので。

  • #6

    ヤスミン (金曜日, 18 5月 2018 19:33)

    そういえば「最高級」という言葉は当日の発言には出てこなかったような。
    なるほど「最高級」。。。

    CMのイメージ戦略と合わせて思い出したのが、
    テレビショッピングでよくある
    「こんなに価値があって、普段は3万円もするのに、今だけ1万円!○個限定!しかもオマケ付!」
    的な売り方。
    多分「並」の商品なのだけど、あたかも「高級」であるかのようにアピールし(属性を付ける?)、しかも数量&期間限定。

    今、この瞬間だけ、高級なものが手に入るチャンスですよ、と幻想を抱かせる。

    「最高級」というのは、そういった「ごまかし」「イメージ」に左右されない「本物」、「絶対王者」みたいな感じなのかも。
    「高級」と「並」は、個人の観念とイメージの中でゆらゆら揺れ動く。。。

    そして「並」を「高級」と思わせて購入させた後には、「高級」を「最高級」と思わせて買わせるための戦略が待ち受けていることも。。。
    となると、「絶対王者」さえもやっぱり幻想?

    高級ってなんなのかしら・笑

  • #5

    Mn3 (水曜日, 16 5月 2018 21:38)

    CMはある商品を買うように迫る。
    その商品を持っていることは高収入の証であり
    優れた知性と感受性の持ち主で
    卓越したセンスと優しさも持ち合わせ
    一般大衆が羨む幸福に包まれていると
    それとなく顕示する

    こう考えるとノーマルな商品にいろいろな属性が加わり高級品になる、というよりは
    高級品がノーマルな購買者にいろいろな属性を付け加えアッパークラスにする
    のではないか。
    だからインポートもの、高級品、オーガニック、ラグジュアリーは
    すべて同じところを指し示している。
    あるのは語の新旧、ちょっとした差異だけだ。

    人間はそれだけ意味の世界に搦め捕られている
    イメージの世界の住人である。
    アルマーニの制服があれだけ批判にさらされ問題化したのは記憶に新しい。
    アルマーニの製品自体に変化は生じなかったはずだが
    イメージダウンは避けられない。
    CMに登場しているひとが不祥事を起こすと
    商品自体になんの落ち度がなくともすぐにCMを中止、変更するのは
    商品はイメージであることの左証だ。
    最近、選考委員の不祥事(疑惑?)でノーベル文学賞が今年度は見送られた。
    ノーベル賞もイメージの商品であったか。

    CMはその商品を購買しなくとも
    全ての人にそのメッセージを共通認識させるという
    とてもおおきな役目を帯びている。
    イメージを押し付けているのだ。イメージの押し売り。
    何も買わなくともイメージによる感化は避けられない。
    最近TVでCMを見ない人が増えているという
    ネットのCMはイメージを植え付けることができる代物なのだろうか
    ネットのCMは即物的というか味気ない気もするが
    いい意味でも悪い意味でも画一化は避けられているようだ
    メッセージがない。
    あるのは「買いましょう」。
    この影響がはっきり顕われるのはあと何年後くらいなのだろう
    そんなことを考えた。

  • #4

    からす (火曜日, 15 5月 2018 10:35)

    高級とは高級ではないものがある場合に有効となる
    比較するものが全て高級であれば横並びのものとなる
    ピラミッド型の構造がなければ高級は高級の意味をなさない

    ビジネスにおいて重要な概念になることは店舗の戦略から観察できる
    高級品であることを証明するものとして「並」が存在する
    そして多くの場合には最高級品が存在している
    価格を比較してみると「並」と最高級の間の価格に高級が位置する
    購買時の行動を観察してみると迷いと高級のセット率が目立つ
    最高級品と「並」を買う人はあまり迷わず購入するが
    視線が3点を行き来する時間が長い程、高級に手が伸びる
    店舗側は労少なくして単価の高い高級に誘導できているので
    ビジネスモデルとして高級は有効な戦略と考えられる
    しかし疑問が残る
    名称をABCと変更して考えると
    真ん中の高級品こそが並品ではないのか?

    (2018年5月栄地下街、某茶屋にての考察より)

  • #3

    ヤスミン (月曜日, 14 5月 2018 17:41)

    今回もたのしい時間をありがとうございました^^
    全体を振り返って今感じているのは、「高級」とは幻想なのかな、ということ。

    例えばブランド品を、ただ気に入ったから買ったのではなく、「ブランドを身に着けている素敵な自分」という風に見られたくて買ったのだとしたら、ホントにそのように見てもらえているか?は不明・笑

    高級ブランドを買うのは、そのクラスに属している人とつながりたいからでは?という意見もあったけれど、それも自分だけの幻想。。。

    安くしても売れないモノを逆に高くしたら売れた、という実話も披露されて興味深かったけれど、それを買うのは他者の設定した「高級」に判断を委ねているということ。。。

    他者の設定した「高級」は、幻想だとしても多くの人から「高級品」だと認めてもらいやすいかもしれない。
    逆に、自ら感じる「高級」は実体(実感?)のあるもの。
    ただし、他の人々もそれを「高級」と認めるとは限らない。

    ・・・「高級」について考えていると「大切なもの」「貴重なもの」と、ごっちゃになってくる感じもありますね。
    「自分にとってどうなのか?」を大切にしている「我が道を往く」者にはあまり関係のない概念かもしれない、とも思いました・笑

  • #2

    からす (月曜日, 14 5月 2018 08:53)

    高級とはお金を払いたいと思った時に認識できるようになる免罪符である

    人は欲しいとおもわない物を高級とは認めないし
    価値を感じられない物を認めることもない

  • #1

    Mn3 (日曜日, 13 5月 2018 15:54)

    「高級品」の起源はなにか?
    「高級なもの」であれば芸術性を感じさせる「石器」とか。
    しかし「高級品」=「高級な」+「商品」
    という感じがするので
    「貴重な」「商品」であり、かつ「正確な相場がその道のヒトでなければわかりかねるようなもの」
    というニュアンスがあるような気がする
    たとえば世界最古の「磁石」などは一体いくらで取引されたのだろうか?
    世界最古の「商品」かつ「レート」があるものとしては装身具、芸術品、食べ物
    ではないかという気がするので「磁石」は条件にイマイチ
    「お酒」などは歴史も古そうだし「商品」が誕生した時には
    値段、「レート」も自然発生的に存在した、かな?
    いろいろ考えられるでしょうが。
    「顔料」は?アルタミラ、ラスコーの頃は「商品」ではなかったろうけど

    一番の「高級品」と言えば?
    ひとによってそれぞれだろうが
    「時間」という答えもある。
    お金で買えるものなのか?という反論があるだろうが
    買える、ともいえるし買えないとも言えるだろう。矛盾してるけど。
    だから「高級品」なのだ、と言ったら比喩の意味で「高級品」を使ってるか
    「いのち」という答えも同様。
    本来商品にできないものも、お金のちからで商品にしてしまうのが
    現代資本主義
    「もの」だけでは高級かそうでないかは決まらなかった。
    その「もの」をとりまく時と場所による
    (オーガニックの農作物、銀シャリ、とかでしたね)
    さらに目に見えない「制度」もおおきな要因か
    「商品」にならないものが「商品」になると値がつけられない
    大気汚染できれいな空気がなくなった頃、きれいな空気が売られたら
    というのは考え過ぎか
    日照権という言葉も昔はなかったなぁ
    タダよりたかいものはなし。