
■ 第74回 哲学カフェ←Googleカレンダーに追加
日 時: 2025年4月12日(土) 13:00~15:00
場 所: カフェ・サンラファエル
(名古屋市西区名駅2-11-8 ファーストビル大樹1階)
地下鉄「名古屋駅」1番出口より北へ徒歩5分
テーマ: サインするとは?
進 行: 荒井 豊
参加費: 飲食代実費(440円~)
定 員: 15名
申 込: 受付中
内 容: それでも私はサインする。。。
思い出してみると、初めて名前を書いたのは、配られた教科書や学用品に自分の名前を書いた
時でしょうか。自分の持ち物には名前を書いておく。簡単なことから始まって、部屋を借りる
ときには契約書にサイン。アーティストならファンが買ってくれたCDにサインする。
いろいろな時や局面で、当たり前のようにサインは求められ、ある時は喜びに、またあるときは
悲劇に。
今回は、サイン自体やサインすることについて考えてみたいと思います。
初めての方も歓迎です。
どうぞお気軽にご参加ください。
主 催: なごテツ(https://nagotetsu.jimdo.com/)
共 催: カフェフィロ(http://cafephilo.jp/)
哲学カフェ 開催レポート
テーマ:サインするとは?
開催日:2025年4月12日
やっと春らしい日々の訪れの中、さまざまな方々に参加いただけました。 毎回、新しく参加される方がいることは対話の幅がひろがりますので大歓迎です。 喫茶店で開催していることもあって、ご参加いただける人数に限りがありますので そこは残念ですが、このことは、対話をもって進行していく哲学カフェにとっては ちょうどよいのかもしれません。
さて、今回は「サインするとは?」がテーマです。何気なくおこなっているサインに ついて、どんな対話が展開するのでしょうか。
以下に対話の一部を紹介します。
・サインの目的って4つある。1つ目は自分の持ち物に名前を書くのは識別。2つ目は何か郵便物なんかの受
け取りは受け取ったよという証明。
3つ目は、例えば有名スターのサインをもらうのは思い出とか記憶、4つ目が、大衆食堂なんかで有名人の
サインを壁に貼ってあるの広告です。
識別、証明、記憶、広告、この4つ。
・最近は印鑑ではなくサインをする場所が増えてきた。私が会社に入社した頃は、見積書のような正式な書
類は手書き、それがワープロに代わり、その流れで印鑑からサインに変わっていくという時代的な流れを
感じながら考えていました。
・サイン、英語では契約書にサインするのは割とスタンダード、日本だと署名があります。
記名の場合は所有を表していると思います。署名は、同意とか、了解してますという話になってくるの。
サインで契約書となると、自分は賛同するか賛同しないか、そのルールを守るという意味で、分かりまし
た、守りましょうという強い意味合いがあるのかなと思っています。
・象徴みたいなもの、何かの現れという風に考える。サインは法の範囲内で行われている行為ですが、元々
はそういう法概念というか、定住生活以前というか、そういう頃にあった何かの形が今のものに繋がって
いるのでは。
・画家のサイン。今は画家がサインするのは当たり前ですが、宗教画の頃はあまりサインは見られないで
す。サインをするということは前提として個人が尊重されてないとサインという意味がないので、昔の工
房で数々の作品を作ってるような時代はあんまりサインはないんじゃないのかなという気がします。
とにかく個人に価値や責任があるという前提、思想として前提がないとサインっていうものはないと思
う。
テクノロジーが発達していくと、それぞれ個人個人が思ってることをクラウドみたいなところにアップロ
ードして、そこからダウンロードして知識を共有することが、できるようになるとしたなら、個人の意味
合いが薄れてくるので画家がサインするっていうこともなくなるのではないか。
・人がサインって言ってるのは、英語で言うとシグネチャー。シグネチャーと英語で言うサインは、神の印
みたいな意味、何か語源同じかと、あと署名人とかがサインするっていうサインは何か別の方向性が感じ
られる。
オートグラフとか。そうですね。この意味での署名というのは、契約の証としてサインするんじゃないか
なと思います。
・食堂とかに飾ってあるサインには書かれなかったサインがあるんじゃないかっていう感覚があるんじゃな
いか。サインは刻印という話がありましたが、そういういみで恥ずかしくて書かれなかったサインがある
んじゃないかなと思う。
・珍しい苗字の場合、もし知ってる人がいたら、ああ、あいつだって分かっちゃう。つまり、サインするっ
ていう意味もそういうものによって、個人的な思いが変わっちゃう。個人が特定さてしまうサインは意味
がかわってしまうのでは。
・サインをすること自体が、果たして本当に本人のサインになるかどうかっていうのが難しい、有名な大学
野球のスーパー・スターみたいな選手がいて、その人にたくさんサインをしてくれっていう依頼が来る
が、とても1人で捌けないので、代わりに書いていた。書いている人が何人もいたので、サイン自体が微妙
に全部違う。
・サインには神々の、みしるしとか崇高な、オラクルというような、人為的にどうかするものではないもの
がある。
・私は自分の名前を書くという行為に対して、最初に考えた時が中学校の3年生の時です。当時、テストで答
案用紙を書いたら退室していいよというルールだったから一刻も早く教室から出ようと思って、名前以外
は白紙で全部出していたが、あるとき、名前書くの忘れて、先生に呼び出されたときに名前を書かないの
は卑怯だと先生に言われた。白紙で出すのがお前の意見の表明だということは聞くが、それを匿名でやる
ことは許さない。
意見を表明する時にはきちんと自分の責任において、自分の名前を書いて意見表明をする。そうしない奴
は卑怯者だと。
・芸能人のサイン、CDにサラサラとサインしている。そのサインを何度も練習していた、スターとしての自
分を引き受けようとしている姿勢がすごいと思った。
また、読めそうで読めないように、読めないようで読めるようなそういうのが芸能人のサインの必要条件
と思う。
・本人確認という意味ではサインも意味がない。役所は決められた手続きで確認してるだけで、本当にその
人が本人か証明できない。運転免許でも偽造はある。唯一できるのはDNA。
・学生のとき写真でのピースサイン。顔に意識が集中するのをピースサインすると意識が少しは手の方に行
って、顔から視線がずれるので、その方が格好良かったのかなあと思いました。
・サインは自分の表明。自分がやったという気持ちの表れ。
・ハンドサインのしぐさのカッコよさ。やっぱりある意味明確にされないはっきりとはしない曖昧なやつが
なんかかっこいいなと思う。
・仲間うちだけで通じ合うサインがある。それをやることによって、一層その仲間意識を感じられた、そう
いうものが確認し合えるみたいな部分があると思っている。
・意図せず間違ったサインで中学校の時に野球の試合中に出て敗退してしまった。
・仲間とは違うサイン。その二人だけのサインは一体感が強い。
・行動に結びつくような兆候みたいなものもサイン。
・戦隊モノとかっていう決めポーズも一種のサイン。
・歌舞伎の見栄みたいなもの。その役を演じてるその役者のサインみたいなものもある。
・何かサインを考えて、自分をいろいろと変えるのに使うっていう人もいる。
・代表としてのサインは、個人の力だけじゃなくて、その人の力があると認めてる周りのものの力がかなり
作用するのかなと思う。
・住宅ローンのサインは手が震えた、インドネシアに駐在したときは毎月の支払の書類にサインしたがイン
ドネシア語がわからないのにサインした、さらに最近の宅急便の受け取りの際のサイン。どんどんサイン
が軽くなる。
・電子取引で、もうすごい長い、絶対全員、誰一人も読んでないなっと思う、何枚も文章があるやつをクリ
ックしないと次に進めないようになっている。本来は規約なんかを理解をして承認するっていうのが前提
だが、サービスとか使いたい人がそれを承認したことにしてないと使えない。
・手術をする時に必ず、この手術は危険が伴います。仮に失敗して何かあった障害が残ったとしても一切責
任は医者医療機関に求めませんというのに必ずサインさせられる。
ただ、それを出す側の医者のほうもそれなりに出しにくそうな感じ。
・手術の承諾書の話とか、契約のサインに関して聞いて、ここにサインしろという時は、サインする人を守
るため、自分のことは自分で守らないといけないことに誰でも気が付く。
・口約束だと忘れちゃうから、書面として残しておかないといけない。それを契約書という形にして、お互
いに理解してますよねっていう最終合意のところでサインなので、信頼してるからサインするとかしない
とかではない。
・力の強いものが力の弱いものを支配するのに、あからさまにすることには抵抗があるので、弱い相手と合
意しているとして、その証拠にサインがあるという物語を用意する。
・サインをすることのパワーとして考えると、サインをするっていうのは、サインをする内容が良いもので
あろうと悪いものであろうと、理解してるか理解してないだろうと、それサインする事によって何かに巻
き込まれていくという感じがします。
・自分の持ち物には名前を書きました。4人兄弟で両親もいたので、自分で買った食べ物も全部名前を書いて
冷蔵庫にしまったりする習慣がありましたが、今1人暮らしになり、名前を書くことがなくなりました。 だから結構尊い行為だったのかなと思います。サインをするのは1人ではできません。相手があってこそ意
味を持つ。
などなど、記載できなかった発言も多々ありました。
今回の対話も、いろいろと広がりを持って行われましたが、やはり直接に参加していただくことが一番と改めて思います。
次回のご参加をお待ちしております。
(作成: なごテツ世話人 荒井 豊)