第33回 哲学カフェ

人はなぜ旅をしたくなるのか

2018年10月13日(土)

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カフェ・サンラファエルさまの入り口
カフェ・サンラファエルさま

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日 時: 2018年10月13日(土) 13:00~15:00

場 所: カフェ・サンラファエル

    (名古屋市西区名駅2-11-8 ファーストビル大樹1階)

     地下鉄「名古屋駅」1番出口より北へ徒歩5分

テーマ: 人はなぜ旅をしたくなるのか

進 行: 水野生惠

参加費: 飲食代実費(440円~)

定 員: 13名

申 込: 事前申込みを終了しました、キャンセル待ちを若干受付中です。

     staff☆nagotetsu.sakura.ne.jp(☆を@に変換してください。)

定員に達しましたら締め切りますので、なるべく事前にお申し込みください。

お申込みがない方も席に余裕がある範囲で先着順でお受けします。お早めにいらしてください。

 

《ご案内》

 ふと「あぁ、旅をしたいな」と感じる時 自分の中でなにが起こっているのでしょうか。
時には、物理的に1mmも移動していないのに 旅をしているような心持ちになっていることも。
その感じはどこからやってくるのでしょうか。
そもそもわたしたちは何を求めて旅をするのか。
それを得るための方法はすべて「旅」になるのか?
哲学カフェの2時間もまた「旅」なのかもしれませんが
みなさまと楽しんでみたいと思います。

初めての方も歓迎です、どうぞお気軽にご参加ください。

 

―開催報告―

なごテツ 第33回 哲学カフェ

《人はなぜ旅をしたくなるのか》

日時: 2018年10月13日(土) 13:0015:00

会場: カフェ・サンラファエル(名古屋駅東口)

進行役: 水野生惠

 

以下に発言内容の一部を紹介します。

 

今日の哲学カフェのテーマは『人はなぜ旅をしたくなるのか』です。

ちょっと魅惑的なテーマですね。 いつものちょっと硬めなものとは違ってます。

さて、このテーマでどんな展開となることでしょうか。

以下に発言の一部を記載していきます。

 

・日常のルーティンから離れたい時、目的地が魅力的な時

・インターネットでもいろいろな所が見られるけど、現地に行くのとは違う。

・ドキュメンタリー番組を見て想像でワクワクしていた時と行ってみてがっかりした時ではどちらが旅なのか?

・どこかに行くことは旅行、旅とは違うのでは?

・「旅」の語源は、山や川に行って神様を鎮めてくることだったらしい。

 今は自分の楽しみのために行くけど、昔は他者のためだった?

・旅とは憧れの引力によって引っ張り出されるでは?

・外側にあるものが、自分を誘い出すよう世界が仕組んでいる。  心が動くのはその結果。

・旅行筋力(腕力や知力のような)旅力とでもいうものがあるのでは?

・旅は自分を見つめ直しに行くのでは?

・日常に不満があると、どこでもいいから行きたくなる。

・旅は現状を脱却したくて刺激を求めに行くのでは?

・非日常の体験で、いつもとは違う刺激を得ることで新しい考え方を得たい、 視野を広げたい

・時間と空間からの解放感を感じたい。

・旅には消費としての旅行と自分探しとしての旅があると思う。

・旅行って日常よりハードかも。

・他者の日常に入るのは旅人には非日常になる。

・旅をすることで日常の捉え方が変わる

・目的がない旅の方が、現地で得られる情報量が多い。目的があると、そこしか見ない。

・トラブルや偶然を楽しむ。ネタになる。

・「どこでもいいからどこかに行きたい」という旅がある

・自由を求めていく。充実感、満足感がある

・旅は知る人がいない安心感、解放感、時間と空間からの解放では?

・旅のリスクも自由には含まれている。

・旅に出ないのに理由など要らないのでは?  切手集め等の趣味と同じで興味がない人は選択しない

・衣食住、移動手段などが用意されているツアー旅行も意外と自由。

・旅に出ない理由は、めんどくさいから、あるいは日常に満足しているからでは。

・人生が旅。

・旅には戻る場所が必要なのでは?

・旅は帰ってくるもので行ったきりではない。

常日頃とは異なるプロセスを経ることで違う自分になって戻ってくる。

・テレビの旅番組は行ったところで終わるが、帰り道や戻ってきてから変わるものもある。

・海外では普段意識しない日本のことを意識できる。

・海外旅行は準備からみやげ話をするまでの時間が長いので、意外にコスパがいい。

・旅は生きている実感をあじわう機会。

・小さな旅=日常、大きな旅=生まれてから死ぬまで、中間の旅=ふつうの旅。

・ここではないどこかに想いをはせる。希望をもつ。

・何かに感動することは旅とは関係ない。僥倖のようなものは日常にもある。

・普段は旅に行かない人の方が旅に期待する。

 よく行く人の方が期待してない、でも行きたくなる。

・巻き込まれに行く

・旅も続けば日常になり、お勤めすることが非日常になる。

・私=人生=旅

・人生は旅、思い通りにならない、遭難することばかり。

・人生の目的がしっかりあるわけではない。

 あってもなくても途中でできることもある。  

 人生も旅も同じだ。

・生き生きと生きたい、本能で生きるのは清々しい。(旅はそのチャンス?)

・ふらっと行く日常の散歩も旅。

・読書も旅。

・解放、現実逃避、違う人間になりたい。旅先での高揚感を味わいたい。

・旅は旅のためにある。出来事として起こっているだけ。

 

まだまだ続きそうな展開ですが、残念ながらここで終了。

哲学カフェは時間が来たら終わるのがルールですので。

 

 

(作成: なごテツ世話人 水野生惠、荒井豊)


コメント: 2
  • #2

    ヤスミン (水曜日, 07 11月 2018 07:14)

    oさんの引用してくださった「観点は、発散に対して開かれ、これを肯定する。」
    この部分に惹かれました。

    なごテツの哲カフェでは、テーマが深まる面白さよりも、たくさんの方の「見方」を聴かせていただける楽しさが多いように感じています。
    どちらが良いというわけではないので、これがなごテツらしさなのかな、と。
    そして無意識のうちに受け取った多様な意見が、自分の固定観念や認識を自然に広げていく栄養にもなる気がします。

    自分だけではたどり着けない考えに、他者の思考も使ってたどり着けるかもしれないのは、わくわくすることだし、旅で感じるわくわくにも近い気がします♪

  • #1

    0 (土曜日, 03 11月 2018 16:13)

    上の《ご案内》の『哲学カフェの2時間もまた「旅」』に対して当日、「それぞれの発言 = 様々な観光地 で、哲学カフェ = それらをめぐる旅」との解釈がありました。

    それにシンクロする文が先日読んだ本に。

    各観点に対応するのは別の都市であり、各観点は別の都市である。(1)

    哲学カフェでは発言が拡散して収束しない事が多い印象です。
    以前に撮影取材にみえた方々からも「発言がバラバラでブレスト的なので最初ついていけなくてとまどった」的な感想が‥。
    そこに示されてることも、各発言内容に劣らず面白く感じられます。

     わかりあえやしないってことだけをわかりあうのさ(2)


    (1)千葉雅也 『動きすぎてはいけない』河出書房新社 P204
    ライプニッツの『モナドロジー』では、世界への複数の観点である「モナド」の群れを扱っている。けれども『意味の論理学』によれば、「ライプニッツは、観点を排他的な規則に従わせ、各観点は、収束する限りにおいて開かれているとした。同じ都市に対する観点というわけである(11)」。「同じ都市」とは、ライプニッツの哲学においては、唯一の神によって調和を予定された唯一の「共可能的compossible」な「最良」の世界のことを指している。「反対に、ニーチェにあっては、観点は、発散に対して開かれ、これを肯定する。各観点に対応するのは別の都市であり、各観点は別の都市である(12)」。このように述べ、ドゥルーズはニーチェの側に賛同する。異なった観点ごとの、都市=世界の分離した複数性を認めるのである。

    (11)(12)ジル ドゥルーズ『意味の論理学』河出文庫 上 P302

    (2)DOUBLE KNOCKOUT CORPORATION 全ての言葉はさよなら(camera full of kisses)

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