第88回 哲学カフェ

大切なことを伝える、伝わる

2026年6月13日(土)

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カフェ・サンラファエルさまの入り口
カフェ・サンラファエルさま

■ 第88回 哲学カフェ

日 時: 2026年6月13日(土) 13:00~15:00

場 所: カフェ・サンラファエル

        (名古屋市西区名駅2-11-8 ファーストビル大樹1階)

      地下鉄「名古屋駅」1番出口より北へ徒歩5分

テーマ:  大切なことを伝える、伝わる

      小さな子どもが母親に何かを指さして、自分の発見を伝えようとしている。

      師匠が弟子に後ろ姿で秘伝を伝えようとする。

      あるいは、はるかに時間が過ぎてから、親が伝えたかった思いが身に染み込んでいる。

     「伝える」と「伝わる」は、似ているようで違うかもしれません。

       大切なことが届くとき、そこには何か特別なものがあるように思います。

       皆さんには、大切なことが「伝わった」と感じた経験がありますか?

      「伝える」ことと「伝わる」こと、そこにしかないものは何なのか、考えてみたいと思います。

                 初めての方も歓迎です。どうぞお気軽にご参加ください。

進 行: 寺井 哲治

参加費: 飲食代実費(550円~)

定 員: 15名

申 込: 受付終了

主  催:      なごテツ(https://nagotetsu.jimdofree.com/)

共  催:      カフェフィロ(http://cafephilo.jp/)

2026年6月 哲学カフェ開催レポート  大切なことを伝える、伝わる

 

  # 今回は初めての方が3名も参加してくださいました。

哲学カフェに関心を持っていただけたことは嬉しい限りです。

それにしても、最近はキャンセル待ちの方も出るなど、全ての方には参加していただけないことも多くなっています。

会場となるお店での上限が決まっていますので参加はお早めにご連絡くださるようお願いします。

 

さて、以下に当日の対話の内容をご紹介します。

 

### <対話の要約>

**「伝える」と「伝わる」は別物である**

長年教壇に立ってきた参加者から「教える側はほぼ全員、伝えた=伝わったと思い込んでいる」という指摘があった。テストは記憶の確認にすぎず、本当に伝わったかどうかを確認しようとする発想が、教育現場に乏しいという問題提起がなされた。「伝わったかを確認するところまでが教育だ」という声は、参加者の間で広く共鳴した。

**感情は「乗せるもの」か、「自然についてくるもの」か**

「感情を乗せすぎると伝わりにくくなる」という意見が出る一方、「感情は意図して乗せるものではなく、伝えたいという気持ちに自然についてくるものだ」という反論もあった。若い参加者からは、親に「助けてほしい」と伝えることへのプライドや照れが語られ、感情と本音の複雑な関係が掘り下げられた。同じことを伝えても受け取る側によって笑いと怒りに分かれた体験談も登場し、感情の量より「相手との文脈」が重要かもしれないという気づきへと向かった。

**伝わることの時間差——「今、わかった」の瞬間**

かつて教えた内容が10年後に「やっと意味がわかりました」という連絡とともに届いたエピソードが紹介された。自分が親になってはじめて親の言葉の意味を理解する、という経験も複数の参加者から語られた。大切なことは「言った瞬間」ではなく、受け手がそれと向き合う経験をしたときにはじめて「伝わる」のかもしれない。

**言葉を超えた伝達——行動・沈黙・身体**

「野球が好き」と一言も言わなかった父親が、息子を遠くに送り出し、叔父を通じてプロ野球を見せるという仕掛けをした話が語られた。言葉ではなく行動によって大切なものが静かに伝わっていく場面がある。一方で、予期せず「自分と他者は別の存在だ」という気づきを与えた父親の言葉のように、伝えようとしたこととは違うことが伝わる場合もあると示された。

**「伝わらない」ことの意味——世界観の違いと尊重**

長年繰り返し話しても家族に理解されない切実な経験や、生き方の違いからまったく届かなかった経験が語られた。「伝わらないのは伝え方の問題ではなく、土俵(世界観)が違うからだ」という言葉が出た。伝わらない相手に伝え続けることに意味はあるのか、あるいは伝わらないままそれぞれの世界を尊重することも大切ではないかという問いが浮かびあがった。

**大切なことはあえて語らない——余白の哲学**

「大切なことほど、あえて分かりにくく伝える」という考え方が提示された。余白を残すことで、受け手が自分の力で掴み取れるようにする——それが深い伝達を可能にするという。愛しているものほど自分の言葉が溢れて伝わりにくくなるという逆説も語られ、禅問答や師弟関係も同じ構造として捉えられた。

**文化・物語・儀礼が伝えるもの**

祭りの踊りや儀礼の所作が、言葉を超えて世代を渡っていくという話が出た。踊りの元の意味が失われても、「地を踏む」という身体の動きそのものが何かを伝え続けている。神様への祈りや亡くなった人への語りかけも同様に、「伝わらないからこそ伝え続ける」という人間の性質が浮かびあがり、伝えることの本質をめぐる問いへとつながっていった。

 

### <対話の一部紹介>

・大切なことを伝えてもらった経験として語られたのは、親友がわざわざ遠くから飛んできて、自身が養子であること、弟がいることを打ち明けてくれたときのことだった。「なぜこのタイミングで」と戸惑いながらも、大切なことを託されたと感じた。

・「伝えようとしてきた。でも伝わっていたかどうかは分からない」——長年教壇に立ってきた参加者の言葉。教える側はほぼ全員、「伝えた=伝わった」と思い込んでいると言う。

・「分かりましたか?」と聞いて「分かりました」という答えを得ることは、確認にならない。伝わったかを確かめるための工夫こそが、教えることの核心ではないかという問いが出た。

・伝わりやすい話の構造として、「問題意識・出発点・方法・真理・解答」というかたちが示された。大学の先生でさえ自分の問題意識を語らずに終わることが多いという指摘がなされた。

・ソフトボールの試合で、子どもたちが自らタイムをとって「相手のキャプテン、かわいそうじゃないか。うろちょろするのはやめよう」と言い出した。試合には負けたが、子どもたちから「勝利より大切なもの」を伝えてもらったと語られた。

・感情的な抗議より、冷静に書かれた声のほうが改善につながりやすい。カスタマーサービスの現場からの観察として、「伝わる」ためには感情の乗せ方が重要だという話が出た。

・「感情は乗せるものではなく、自然についてくるものだと思う」。伝えたいことが強ければ強いほど、感情は勝手に言葉に乗ってくるのではないかという反論が出た。

・若い参加者が語った。両親に「助けてほしい」と伝えることが、自分にとって最も大切なことを感情とともに伝えることだと。プライドがあって本音を言えない時期だからこそ難しい。

・電話対応で意思の伝わらない客に応対した後、担当者が呟いた一言——「私はあなたのお母さんでもエスパーでもないのよ」。その言葉が参加者の記憶に深く残っていた。

・「受け取る準備ができていないと、いくら伝えても届かない」。伝えることと受け取ることの両方が成立してはじめて「伝わった」になる。

・長年繰り返し話しても家族に届かない経験が語られた。「大切だ」という認識が受け取る側にないと、どんなに真剣に語っても伝わらないという現実がある。

・「受け取る側が大切だと判断していないとき、伝わらない。大切さが一致したときにはじめて伝わる」という言葉が出た。

・かつて教えた内容が、10年後の深夜に「今やっとわかりました!」という興奮した電話とともに届いた。当時のノートを傍らに置いて仕事をしていた教え子が、実際の経験を通じてはじめてその意味を掴んだという話。

・「親になってはじめて、親の言葉の意味がわかった」という経験を複数の参加者が語った。体験が変わることで、以前は届かなかった言葉が届くようになる。

・親が亡くなってから後悔しても、もう伝えることができない。だからこそ、伝わらないまま伝え続けてしまう——後悔と「伝えたい気持ち」の切ない関係が語られた。

・「うどん・そば・カツ丼・ラーメン、何が食べたい?」と聞かれ「なんでもいい」と答えた日に父親が急逝した娘の話。以来、毎年命日にその四品を仏壇に供え続けているという。伝わらなくなったからこそ、伝え続ける。

・「野球が好きだ」と一言も言わなかった父親が、息子を遠くに送り出し叔父を通じてプロ野球を見せる仕掛けをしていた。帰宅した息子が興奮して野球の話をすると、グローブがすでに二つ用意してあった。言葉より行動で伝わることがある。

・子どもの頃、父親に叩かれて泣いていたとき「私は痛くない」と言われた。その言葉が、「自分と他者は別の存在だ」という気づきをもたらした。伝えようとしたこととは違うことが伝わる場合がある。

・心臓発作の痛みを問われ「失恋の胸の痛みに似ています」と答えた。看護師は笑い、医者は激怒した。同じ言葉でも、受け手によってまったく異なる意味をもつことがある。

・「グローブを構えているところにゴルフボールを打ち込んでいる」——痛みが伝わらない状況をそう表現した参加者。受け手の準備と送り手の工夫が噛み合わなければ、言葉は届かない。

・「でも、グローブを構えていようとゴルフボールをぶつけるぐらいの勢いで伝えるべき場面もある。その痛みが、伝えたいことそのものかもしれない」という声も上がった。

・言葉では通じないと判断し、自転車で危険な行為をしていた人物に対して、身体で止めるという方法をとった参加者の話。「言葉以外の手段を持つことも、伝えることのうちだ」という問いが生まれた。

・神様への祈り、亡くなった人への語りかけ——「伝わらないからこそ、伝え続ける」。人間が持つこの性質について、参加者の間に静かな共鳴があった。

・「大切なことを伝えるとき、あえて余白を残す」という考えが示された。すべてを語らず、受け手が自分の力で掴み取れるようにすることが、深い伝達を可能にするという。

・「大切にしているものほど、自分の言葉が溢れてしまって、かえって伝わりにくくなる」。愛の量と伝わりにくさが比例するという逆説。

・禅問答や師弟関係においても、「言葉で言い切らないこと」で相手が自分で掴み取ることを促す構造があるのではないかという話が出た。

・ゴシック建築を課題に出したとき、説明された事実を再現するだけでなく、「なぜそこに建てられたのか」という余白まで掘り下げて作品にしてくる学生がたまにいる。その作品を見たときに「伝わった」と感じると語られた。

・「伝わらないのは伝え方の問題ではなく、土俵(世界観)が違うからだ」という言葉が出た。伝わらない相手に伝え続けることより、それぞれの世界を尊重することが大切な場面もある。

・世界観が異なる相手に「大切なこと」が届かないのは、相手が悪いのでもなく、自分が悪いのでもないかもしれない。その人がその世界観の中で安定して生きていることを、乱すことが必ずしも幸福につながるとは限らないという見方も出た。

・祭りの踊りや儀礼の所作は、言葉を超えて世代を渡っていく。意味が失われても、「地を踏む」という身体の動きが何かを伝え続けているという話。

・「寂しさだけは、共感されない」という話が出た。怒りや悲しみは「私も同じだ」と言えるが、寂しさには「分かる」と言えても「私も寂しい」とはなりにくいという。

・「寂しい」という感情を体験したことがないと思っていたが、幼い頃に読んだ本や漫画の中でその概念を学んでいたと気づいた参加者がいた。実体験がなくても、伝わる何かがある。

・「分かりました」という言葉は、実は使いにくい。本当に伝わったかどうかは、そう言った本人にさえ分からないことがある。

・塾講師の参加者が語った。「自分がいいと思う方法を一方的に伝えていた。相手がどう考えているかを聞いてから、一緒に考えていくべきだった」。

・「大切なことを言いますよ」とあらかじめ伝えることで、受け取る側の姿勢をつくる。その一手間が、伝わるかどうかを分けることがあるという話が出た。

・思春期の子どもが「モノの修正テープでないとダメ」と言い続けた。母親がわざわざ探して買ってきたとき、子どもは「本当にありがとう」と言って勉強を再開した。相手の世界観の中に入ることで、はじめて伝わるものがある。

・「大切なことと、そうでないことの区別はない。すべてのことが大切だ」という参加者がいた。そうであれば、「大切なことを伝える」という問いそのものが問い直されるかもしれない。

・解釈の多様性を認めることで、コミュニケーションはむしろ豊かになるという視点が出た。「正しい解釈」を求めることが、解釈の自由を奪うこともある。

・「分からないからこそ、分かろうとする。伝わらないからこそ、伝えようとする。そのことが、関係を深めていくのかもしれない」という言葉で、対話は静かに締めくくられた。

 

### まとめコメント 「大切なことを伝える」というテーマをめぐって、個人的なエピソードから哲学的な問いまで、さまざまな声が行き交った時間でした。「伝える」と「伝わる」のあいだには深い溝があり、タイミング・感情・関係性・世界観がそれぞれ複雑に絡み合っていることが見えてきました。それでも、あるいはだからこそ、人は伝えようとし続ける——今日の対話は、そんな人間の姿を静かに照らし出してくれたように思います。 #

 

 

 

 

(作成: なごテツ世話人 荒井 豊)

 

 

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