第25回 哲学カフェ

たのしむ

(楽しむ・愉しむ)とは?

2018年2月10日(土)

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カフェ・サンラファエルさまの入り口
カフェ・サンラファエルさま

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日 時: 2018年2月10日(土) 13:00~15:00

場 所: カフェ・サンラファエル

    (名古屋市西区名駅2-11-8 ファーストビル大樹1階)

     地下鉄「名古屋駅」1番出口より北へ徒歩5分

テーマ: たのしむ(楽しむ・愉しむ)とは?

進 行: 荒井豊

参加費: 飲食代実費(440円~)

定 員: 13名

申 込:事前申込みを締め切りました。

    キャンセル待ちを若干名受付中です。                                                      staff☆nagotetsu.sakura.ne.jp(☆を@に変換してください。)

共 催: カフェフィロ

《ご案内》

 私達のまわりには楽しみが溢れています。 スポーツ・旅行・ゲーム・映画・読書、スポーツ等など、最近では 仕事も勉強も楽しんでやりましょうとか。 いろいろなコトがありますが、何を楽しいと感じているのでしょうか。 また、求めているのでしょうか。

  今回は「たのしむ」について考えてみたいと思います。

初めての方も歓迎です。どうぞお気軽にご参加ください。

 

―開催報告―

なごテツ 第25回 哲学カフェ

《たのしむ(楽しむ・愉しむ)とは?》

日時: 2018年2月10日(土) 13:0015:00

会場: カフェ・サンラファエル(名古屋駅東口)

進行役: 荒井豊        

 

今日も、哲学カフェにたくさんの参加者が集まってきてくれました。

事情があって、暫くご無沙汰だった世話人の井下さんも参加。

ちょっとうれしい始まりとなりました。

さて、本日のお題は「第25回哲学カフェ たのしむ(楽しむ・愉しむ)とは?」です。

さまざまな観点でたのしむについて対話が続きましたが、はたして。

たのしむについて 考えることを楽しめたのでしょうか?

 

以下に対話の一部をご紹介します。

  

  

・楽しむは五感がそれぞれバラバラ楽しんでいるのであって、全体のたのしむではない。

・楽しみにはその時はわからないけれど思い出してみると楽しいなと思えるものがある。

・その瞬間に、ずっと続けていたいと思える状態が楽しいなのだと思う。

・没入感を持てるものが楽しい、我を忘れてやっていることが楽しいこと。

 そのときには  楽しいということさえ考えていない。

・何かをやっていて成長する、レベルが上がることを感じることが楽しい。

・思索を楽しむ、四季の移り変わりを楽しむのようなものもある。

・快感を感じていることが楽しいこと。

・その時楽しいから思い出してみて楽しいまで、時系列で並んでいるが、

 楽しいの密度が薄くなる。

・美味しい納豆を作っている友人は楽しいが振る舞ってもらった私は納豆が嫌いなので楽しめない。  

 自分が楽しいからと言って相手がたのしいとは限らない。

・楽しいと思えないものの中に楽しみを見つける人がいる

・仕事が楽しいいうのは、その仕事に打ち込んでやっていくと楽しみを見つけるから。

・若い頃に見て面白くないと思った映画も歳を取ってから見ると楽しめる。

・父親との初めてのキャッチボールが楽しかった。

・何かの目的のための楽しみと楽しみ自体が目的の場合がある。

・他の人から承認をもらうとそれが楽しみになる。(親に褒められると楽しくなる)

・他人にこれは美味しいと言われていると、初めはイマイチと思っていても

 今では美味しいと思うようになった。

・楽しいと快感は違う。

・他人の不幸は蜜の味というようなことは楽しいが社会的に承認されないので楽しいと言えない。

・楽しいは日本語に依存している表現ではないか?

・動物は言語を持っていないので、楽しいがわからない。人間は言語を持っているので楽しいが分かる。

・他人からは楽しんでいると分かるのは外面にでた振る舞いからそう思っている。

・今後起こる楽しいことがイメージできるから楽しい。

 (野球で試合に勝つことをイメージするから練習が苦しくても楽しめる)

・ガンになったが、医者以上にガンの知識を持って医者をとっちめるのが楽しみ。

 うれしかないけど楽しんでる。

・楽しいと楽しむは微妙に違いがある。楽しいは現状だが、楽しむは能動的。

・本当に楽しい体験は楽しいとしか言えない。本当に楽しいのは楽しい

・楽しいは現実、楽しむはイメージ。将来、楽しいだろうと思える。

・過去のあれは楽しかった。現実の今の私がそれを楽しいにしてしまっている。

・今受けている刺激に対する評価としての楽しいとなる。。

・主体が積極的に関わることによって楽しめる。

・普段楽しいことはあまりないのに楽しみなさいと言われるのはしんどい。

・今は楽しむことを強要されているような風潮があるが、ちょっと前までは楽しむということが  

 否定的に捉えられていた。何が変わったのか。

・楽しいという表現が倫理に制限されている。

・楽しみはこうあるべきだとなっている

・倫理を外した上での楽しみはどうなのか。

 

       などなど、対話は続き、いつものとおり時間がきたので終了。

          各々が自分なりの楽しい時間を過ごせたようです。

 

(作成: なごテツ世話人 荒井豊)


~参加者からのご投稿~

[ご説明] 哲学カフェでのやりとりを多くの皆さまと共有する場として開設します。

イベント終了後2週間程度を目安に、参加者の皆さまからのご投稿を募集します。

当日の感想や、後で気づいたことなどを気軽にお寄せください。

参加者同士のさらなる対話の場としてもご活用ください。

[ご注意] 「ホームページ」欄は、ご記入なしで構いません。

「名前」は匿名や変名でも構いません。(後で変更はできませんので、ご注意ください!)

ご投稿はなごテツが発行および許諾した印刷物や電子媒体で複製・転載する場合があります。

あらかじめ、ご了承の上、ご投稿をお願いします。

コメント: 3 (ディスカッションは終了しました。)
  • #3

    Mn3 (日曜日, 18 2月 2018 13:54)

    「楽しい」が健康ならば「悲しい」は病気なのだろうか?
    「悲しみ」に浸っていると、病気に罹患しやすくなる、
    とか寿命が縮まる、
    とか生産的な活動が阻害される、
    とか真偽は定かでないが、マイナス面はあるだろう。
    いつの日か、薬物で「悲しみ」をコントロールし「楽しい」気分にしてくれることが
    大々的に行われる日が来るかも知れない。
    行政の思いやりは、いつしか義務に変わる。
    行政サイドは「あなたの為を思って」薬物を使って
    「悲しみ」に囚われた人を救おうとする。
    「悲しみ」に囚われたわけでもないのに、
    行政に不都合なことを研究したりしている学者に
    「あなたの頭は苦しみに満たされているから、薬物で気分を楽しくなるように
    『治療』してあげましょう」と
    強制力を執行しないとも限らない。
    実際共産圏のある国ではそんな『療養所』がありはしなかったか?
    「楽しい」は無条件で良いこと、プラスの評価を与えられること
    と思っているとしたら
    「悲しい」「辛い」「苦しい」は無条件で良くないこと、マイナスの評価をもたらすこと
    とコンセンサスができてしまう。
    「悲しい」はそれなりに評価されていい。
    というか「楽しい」と「悲しい」は表裏一体。
    ならば医学的治療で「悲しい」を無理に
    治療されなくとも良いだろう。
    「地獄への道は善意で舗装されている」と言うから。

  • #2

    からす (土曜日, 17 2月 2018 21:04)

    たのしむとはどういうことなのか?
    言葉にしようとすると予想外に詰まってしまう
    参加者から出た意見で他の人に付け替えが不可能なもの
    勝手に解釈すれば主観的で他人と共感はできるが分かち合えないもの
    同意できる反面、もし薬材や脳内の操作でたのしい状態を作りだせるならば?
    たぶん存在する方法なのではないかと思われます
    そんなものはたのしいとは言えないとも思いますが
    外部からの操作でたのしい気分になるということならば
    誰かと会ったり、テレビや映画などでたのしい気分になることと
    科学的な操作での気持ちの変化のどこに違いがあるのだろうか
    自分の意志によるかどうか
    沈んだ気分でいたい時に励まされて気分が変わるケースと
    沈んだ気分でいたくないので処方を受けた場合
    どちらのケースも有り得ると思われる
    たのしい気分になりたい時には外部に刺激を求めることがあるので
    その手段が変わっただけとはいえる

    たのしいってどういう状態でしたっけ?

  • #1

    いした (土曜日, 17 2月 2018 09:01)

    朝は氷点下にまで冷え込む季節。午後には雨が振りはじめるという曇り空。しばらく臥せりがちだった身体を起こし、電車に乗って1時間。久しぶりに顔を出してみた哲学カフェ。
    扉を開いて一瞬にしてレンズを曇らす暖かさ。お気に入りのチョコレートムースの甘い匂いと、炭焼珈琲の芳ばしい香り。開けた視界にうつる懐かしい笑顔。参加者の方たちもお店の方たちも、皆さん、明るくて暖かくて優しくて…
    不思議と次第に元気になっていく自分に驚き、根っから好きなんだなと気づかされました。

    たのしむをテーマに様々な視点から自分の考えを言葉にし、共感と違和感、論理を手掛かりに、バランスをとりつつ朧気ながらもいくつかの形に紡いでいき、ときに対立することがあっても互いに理解の糸口を見いだそうとする参加者の皆さん。
    良い場になったなぁ、とつくづく思いました。

    これも参加者の皆さんと2人の世話人が頑張って盛り立ててくれたお陰でしょう。そして、そんな居心地の良いスペースを変わりなく使わせてくださるお店の方たちのお陰でもあります。皆様に感謝申しあげます。

    また、ありがたいことに新たに世話人に加わってくださる方たちが現れました。いずれご紹介させていただくことになると思いますが、ますます活気ある素敵な対話の場となるよう力を発揮してくれることでしょう。

    なごテツは皆さまとともに作り育てていく場です。この場がさらに良いものとなることを願っています。
    これからも皆様のお力添えをどうぞよろしくお願いいたします。

    (また元気をもらいに参りますね。)

    世話人代表 井下賢一

第25回 哲学カフェ

たのしむ

(楽しむ・愉しむ)とは?

2018年2月10日(土)

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