■ 日 時: 2016年5月14日(土) 13:00~15:00
場 所: カフェ・サンラファエル
(名古屋市西区名駅2-11-8 ファーストビル大樹1階)
テーマ: ときめく
進 行: 高橋秀和
参加費: 飲食代実費(440円~)
定 員: 13名
申 込: なるべく事前にお申込みください。
(定員に達し次第、締め切ります。お申込みがない方は席に余裕がある範囲で先着順でお受けします。)
申込先: staff☆nagotetsu.sakura.ne.jp (☆を@に変換してください。)
主 催: なごテツ
共 催: カフェフィロ
備 考: ① 100円程度のご寄付をお願いしています。(強制ではありません。)
② 写真撮影と対話の録音をさせて頂いております。NGの方はお申し出ください。
《ご案内》
期待に胸を膨らませることが多い季節。「ときめき」は、恋の予感を感じさせたりしますが、最近、話題の片付け術では残すものの判断基準に使われていたりもします。「ときめく」とは、どのようなことなのでしょうか。「ときめき」を求めるということは、どのようなことなのでしょうか。
「ときめき」から遠ざかっている方も、真っ最中の方も、ともに考えて行きたいと思います。
初めての方も歓迎です。どうぞお気軽にご参加ください。
―開催報告―
なごテツ 第2回 哲学カフェ ときめく
日時: 2016年5月14日(土) 13:00~15:00
会場: カフェ・サンラファエル(名古屋駅東口)
進行役: 高橋秀和 参加者: 12名
今日は、哲学カフェでは今までちょっと思いつかなかった「ときめく」がお題です。
ちょっとときめきから遠ざかっているおじさま世代からは縁遠い内容と思っていましたら参加者の内訳も女性がいつもより多い。
さてどんな展開になるのやら。
最初に口火を切っていただいた内容は、ちょっと意外。そう、私たちは子供の時には親から怪我をしたときは痛い、虫にさされたときはかゆいと教わるけれど、ときめきについては教わらないよね。とのこと、考えてみると確かにそうです。
ときめきは、これから起きることに対する期待感や夢なんじゃないだろうかとの意見も続きます。
だから、それは物や人に対してで、その期待が現実には実現できないことが分かると、ときめきもなくなってしまう。
では、ときめきの主語はなんだろうとの発言。これは私が主語だが、自分がときめこうと思ってときめけるものではない。降って湧いてくるような感情なのだと。つまり、初めての体験で、うれしい・好き・幸せを感じた時にときめいてしまう。
また、物だったら買うまではときめくが、買って満足したら終わりになるとの発言。例として昔買ったギター、それを買うまではときめいていたが、買ってしまったらそのままに。普段は気にしないが、たまに見るとときめく。これはなぜ、という疑問もでました。
それに対し、物に対するときめきはなくなっても、そのギターを弾いているカッコいい自分のイメージにときめくのではとの発言。それについて、自分もお気に入りのカップでお茶を飲もうとすると、ときめくとの発言が続きました。
おそらく、物自体ではなく、それが作り出す環境。つまり、そのお気に入りのカップを手に優雅なひとときを過ごす自分という体験にときめいているのではないかと発言が続いてされました。
それに対し、広告が使っているイメージ操作のようだとの発言がされました。これについて、仕事で物を売るときにどういう物語を作るかを考えるんですよ、と教えてくれる発言が。
ついでに、なぜときめいたものを買いたくなるのだろうか?との問いも発せられました。
それに対して、物の魅力で心を動かし物語で良いイメージを与えるので買いたくなるとの答えが返されました。
では、なぜときめかなくなるのかとの問いが続きます。
この時に、ある参加者から、還暦を過ぎるとときめきもなくなる。ときめきとは簡単にふってくるものなのだろうか、とてつもない驚きのようなものがときめきなのではないだろうか、そういったものが無いからときめかないとの発言。最近の例としては、ガンの検査を受けて幸い軽いものだったが、その内容を知らされるまではどきどきしたとのこと。ときめきとは良い結果と悪い結果があるときの不安が入り交じったものかも知れません。
手に入れられないかも知れない、確実ではない不安がある、ドキドキがあるといったものなのではないかという発言がされました。
イケナイことをするときのときめきもある。
未知のものを知るときのときめきもある。(自分の知らないことを知る喜び)
昔、人に認められるのではなく、私が私を認めて良いと思ったときにキュンとした。
若い人の中に入ると、ときめく。
ときめきには、まわりは分かるけど自分は分からないものと、自分は分かるがまわりは分からないものがある。
と、しばらくときめきのバリエーションについての発言が展開されました。
ここで、ときめきの中に喜びがあるのか、ときめき=喜びなのかという問いが発せられました。
ときめきは喜びの1つという発言と、まだ望みが達成されない時にときめきがあり、達成されると喜びがあるという発言がありました。その時の場の雰囲気はときめきの中に喜びがあるが優勢。
また、その後で、昔聴いたビートルズの曲を改めて聴いたときにときめいたとの発言から、最初に聴いた時の思いがよみがえって来てときめいたのではないかとの発言が出ましたが、音楽自体に気持ちを高めたりドキドキを与えるように作ってあるんだとの発言がされました。
続いて、新しい発見をしたときときめくから芸術自体が新しい発見や見方を与えてくれる。ときめきの再生産を行うのが芸術との発言に。
本当はそういう見方ができる目があれば自然を見てときめくことができるとの発言。
音楽はときめきを喚起する、小説はストーリーの流れで感情を喚起してときめきを作るとの話で盛り上がってきたところでタイムアップ。
最初はときめきという内容が表現しにくくて、ちょっと戸惑い気味だったように思えましたが、実際の体験談を語られる真剣な場面や、もうときめかないというような発言をしていた方が、休憩中に周りの若い参加者との雑談で笑顔が輝いていたところを、「ときめいてますね」と言われて、そうかときめいていたんだと気付くような場面もありで、終始楽しい時間となりました。最後は芸術についての話が盛り上がってきたところで時間となったのが残念ですが、この内容についてまた改めて取り上げたいものです。
(作成: なごテツ世話人 荒井豊)
-世話人の呟き-
【報告】昨日(5/14土)名古屋駅東口のカフェ・サンラファエルさんにて、なごテツ第2回哲学カフェ「ときめく」を12名(初参加2名)で行いました。https://t.co/l7LJwVgFGd pic.twitter.com/a2BD9Ka4fi
— いした (@Ishita_tkn) 2016年5月15日
今回も「ときめく」についての体験談や率直な感想を土台に、幅広い観点からテーマについて掘り下げていくことができ、思いもよらなかった発見に溢れていました。そして今回は特に、対立を恐れず互いの発言をかみ合わせようと、信頼関係をベースに建設的なやりとりが展開したことが印象的でした。
— いした (@Ishita_tkn) 2016年5月15日
今回も参加者の皆様から500円硬貨2枚を含め、1,900円ものご寄付をいただきました。配付資料などの複写費や活動運営費などに充てさせていただき、一部は哲学カフェ活動発展のためにも使わせていただきたいと思っています。https://t.co/sH6jkuaJJi
— いした (@Ishita_tkn) 2016年5月15日
こうして活動ができるのも、参加者の皆様や場所を提供してくださるお店の方たち、そして哲学カフェにかかわっておられる方たち皆様のお陰と感謝しています。これからもご支援・ご協力をいただきますよう、どうぞお願い申し上げます。
— いした (@Ishita_tkn) 2016年5月15日
[ご説明] 哲学カフェでのやりとりを多くの皆さまと共有する場として開設します。
イベント終了後2週間程度を目安に、参加者の皆さまからのご投稿を募集します。
当日の感想や、後で気づいたことなどを気軽にお寄せください。
参加者同士のさらなる対話の場としてもご活用ください。
[ご注意] 「ホームページ」欄は、ご記入なしで構いません。
「名前」は匿名や変名でも構いません。(後で変更はできませんので、ご注意ください!)
ご投稿はなごテツが発行および許諾した印刷物や電子媒体で複製・転載する場合があります。
あらかじめ、ご了承の上、ご投稿をお願いします。
哲学カフェ終了後、約2週間が経過しましたので、ご投稿の受け付けを終了いたしました。
ご投稿、大変ありがとうございました。
からす (月曜日, 16 5月 2016 21:26)
参加しながら感じたことの中に
発言者の表情の違いがありました。
理論的に発言する人の真剣な表情と
ときめいた過去を思い出しながら話す人の表情
同じ人が話しているのに別人のように表情が変ってしまう
眉間に少ししわがよっているのに比べて
少し上気して頬をピンクに染めて嬉しそうに発言している姿は
絶対若返っている!(発言すればよかった・・・)
ときめき=喜びを体現している姿ではあるのですが
もう一つ駄々漏れてくる感情は「未練」ではないかと思いました。
幸せそうに話す姿は
大事な記憶を大切に大切に扱い
小さなかけらの一片たりとも失いたくないという
羨ましいと感じてしまうような未練を伴い
心の中にあるその存在の大きさを想像させる
ときめきとは失いたくないあまり取り乱してしまうような
強烈な未練を伴う喜びであり
その感情の爆発は人生を豊かにしてくれる存在
芸術家が形にすることを夢見て人生を傾ける存在なのではなかろうかと
言葉よりも雄弁な表情を見ながら考えてしまいました。
0 (水曜日, 18 5月 2016 08:49)
先日の対話を経て思いついた、「ときめきのなりゆき」を段階順にならべてみます。
A.なんだかいい、モノ・ゴトの存在
例 綺麗な洋服
カッコイイ車
面白いアイディア
気持ちのいい風
受け入れられた感、などなど
▽
B.「A」との出会いとかイメージとかから、おどろき&ときめき誕生!
▽
C.「A」が自分に役立つイメージがわいてくる(火に油をそそぐ)
例 自分の人生が理想に近づく
自分の成長の糧になる、などなど
▽
D.「A,B」を所有することへ、かりたてられる(すりかわる)
▽
(E.オマケ)場合によっては消費への誘導(まいどあり~っ!)
おわりがけに出てきた芸術の話との関連では、
理想の芸術は(Bへの手段でなく)Aそのもの。
BからEの方向で純度が落ちていく感じがします。
個人的にはCはすでに不純。
とはいえ水なんかでも純度が高いと不味いと聞きます。
不純なものほど面白いのも世のならい。
「ときめく」ってどんな事かのイメージが変わりました。
そもそもあんまりイメージがなかった事に気づいたんですが‥
現時点での自分なりの結論...
◎ときめきは自体は「対象との出会いの単純な喜び」
○「期待感」「スリル」「不安感」などなどはトッピング的なオプション(薬味、スパイス、または持続させる燃料)
という感じです。
荒井さんの開催報告(参考になります。感謝です。)、からすさんの投稿にもあった「表情」の話も面白いですね。
内面の「ときめき」の表れとしての表情でなく、表情それ自体がとりもなおさず「ときめき」なんだっていう方向にも興味あります。
対話っていつも難しいですが、楽しかったです。
なごテツ世話人&参加者のみなさん、ありがとうございました。